汗とビーチと沈む夕陽と
ミャンマーのように暑い国にいると、一日中水を浴びていたい気持ちになる。こんなとき、海辺だったらどんなに良かったか、とさえ思う。
昔は、一時期海辺の近くで住んでいた。海が近い学校だったから、学校のイベントで海開きなんてのがあった。なぜか砂浜で終業式みたいなのをやったような気がする。岩礁とかにくっついているボベイとかいう貝を、マイナスドライバーでほじくり出して、そのまま網の上でBBQしたり。近場にたくさんあるカジメとかいう海藻を、直潜りで取ってきて醤油でご飯と一緒に食べたり。海の幸をいただきながらも、暑い日は海辺で涼んでいた。海の近くは、風が吹くので気持ちがいい。
海辺のおじさんたちから、いろんな魚のお話をしてもらったような思い出もある。たまに通っていた駄菓子屋のばあちゃんは元気かな。あそこにあった秘密の抜け道に書いた落書きはまだあるかな。
時折そういったものにノスタルジーを抱きながら、この暑い灼熱のミャンマーを憂うことがある。ここには、頭にカゴを乗せて、豆〜、ナン〜、トウガンやで〜とか言いながら、朝7時に団地にやってくるおばさんしかいない。停電のせいで蒸される部屋には、残念ながら風が入ってこない。心の半分を満たしていたバファリンの成分は溶けきってしまい、頭が熱くなっていく。こんなときに「やあ、お金を貸してくれないか」なんてやってこられたが最後、僕は何をするかわかったもんじゃない。
そうだ、海に行こう。海で、綺麗な女の子とキャッキャするんだ。心に巣食うぐちゃぐちゃな気持ちを洗いに行くんだ。
ヤンゴンから行けるビーチは、有名なものが3つある。
エーヤワディ管区に位置する、チャウンター(Chaung Thar)、ングウェサウン(Ngwe Saung)、そして、ラカイン州に位置する、ンガパリ(Ngapali)だ。
ヤンゴンから車で5時間程度で行けるチャウンターとングウェサウンは、多くの人が訪れる。ンガパリは、それらよりも遠いがかなり綺麗なビーチだ。ここもやっぱり大人気。乾季になる11月から4月は、外国からもたくさんの人が訪れるし、もちろん国内からも多くのミャンマー人が海辺で遊ぶ。綺麗なお姉さんもいっぱいいる。
ただ、どこも人が多すぎる。どうせだったら、人の少ないところでゆったりのんびりしたい。人知れずキャッキャしたい。泳げない姿を誰にもさらすことなく、自分のペースでキャッキャしたい。
ということで、今回はモン州にあるセッセビーチ(Set Sae Beach)に行ってきた。仕事のパートナーのザーニーという大男と一緒にやってきた。ザーニーは、4年前からの付き合いで、ミャンマーでのベストフレンドだ。彼がいなければ、今の僕はいないだろう。死ぬ前に会いたい親友ベストテンの中でも、トップクラスに来る。
「なぁザーニー、これからの俺ら、どうなるんだろうな」
「ちょっと後でいい?おしっこ行きたい」
ヤンゴンから車で8時間。ちょっと遠いけれども、バゴー、チャイトー、タトン、モーラミャイン、タンビュザヤを通過して、ようやくたどり着く。ちょっと遠いと思うだろうけど、仕方ない。新幹線とか走ってないし、電車だって愚鈍行だし。
何回かのトイレ休憩を挟みながら、ようやくたどり着いた。ここの醍醐味は、やっぱり馬に乗れることだ。ちっさい子供が手綱を取って、馬の先導をしてくれる。ちなみに、1回(10分くらい)で1000 kyatだ(kyatは、ミャンマーの貨幣単位で、10 kyatがだいたい1円くらいだと思っていい)。
この辺りの村は、タイ側に近いこともあって、出稼ぎに行くミャンマー人が多い。あと、長年の紛争で国内避難民も多かったと聞く。木々が生い茂るジャングルの中で、街へのアクセスの悪いような村に住む人々も多い。
出稼ぎにでて、HIVに感染して帰ってくる者もいる。タイ側で、感染して帰ってくるのだ。十分な知識のない人たちは、そういった感染者に対して差別的な態度をとる。おかげで、PLHIV (People Living with HIV)と呼ばれる人たちは、コミュニティに属すことが出来ずに追いやられている。昨今、HIV患者となっても、薬を飲み続ければ生きていくことができるようになってきている。しかし、そういったコミュニティからの孤立は、生活をしていく上では大きなハンディキャップとなる。HIVに対する理解が少ないせいで、感染ルートは減らないし、それらに対する差別もまた、減っていくわけではないのだ。そこで、Self Help Groupという自助グループを形成し、啓蒙活動や自助活動を展開している。
継続した活動や、国際保健機関からのサポートの甲斐あって、ミャンマーでのHIV感染率は、例年に比べて大幅に減少しているというニュースを見たことがあった。こういうのは時間がかかる。まだまだ課題もたくさん山積する。
このセッセビーチでも、HIVセルフヘルプコミュニティに属する人が、魚の干物を売って生活をしている。
今回は夕方に着いたので、もう馬のサービスも、魚の干物屋もおしまいだった。沈みゆく夕日を、僕らはただただ眺めていた。
仕方ない。だったら、この汗まみれの体を清めよう。塩水で心も清めよう。小学校の掃除されないウサギ小屋のように汚れてしまった心を清めよう。
僕らは走った。ビーチにサンダルを脱ぎ捨てて、夕陽が差す土色した不透明な海に向かって走った。西陽は眩しく照らしていて、水しぶきがキラキラと輝いていた。他に人はほとんどいない。恥ずかしくなんかない。服も脱ぎ捨ててパンイチになった。潜るのには抵抗があったが、肩の高さまで深いところまで泳いだ。ちょっとドキドキした。そのドキドキは、ワクワクからくるものじゃない。近くに美女が歩いているからじゃない。泳げないから、いつ高波が来るかわからないという恐怖からくるドキドキだ。でも楽しかった。横にいるのが、仕事のパートナーのザーニーじゃなくて、笑顔の可愛い女の子だったら、もっと良かった。ザーニーの楽しそうな笑顔がなぜか眩しかった。
1時間後。
遠くから、犬が僕らの服をくわえて持って行ってしまうのが見えた。
僕らはお気に入りの服を失った。綺麗にサンダルだけ置いていってくれた。僕らは言葉も出ないまま、ゲストハウスまでパンイチで行ってチェックインをした。ゲストハウスのお姉さんがゲスでも見るかのような目で見下した。
僕らは尊厳も失った。
もう海なんてこない。