クルミ割り人間
無知の知と至誠
これまでミャンマー全土を飛び回ってきたけど、まだまだわからないことが多いなぁと感じる。知れば知るほど、知らないことが多いことを知ってしまうのだ。ソクラテスのおっさんは、それを無知の知と呼んだ。
ちょっと齧っただけで全てを知った気になるなよ、知らないことは知らないって言えよ、という教えだと思ってる。
それは、月日にも火水にも土木にも拠らない。どれだけ長いこと関わっていても、どれほど苦労を費やしてきても、どれだけ基礎を学んだとしても、だ。無知の知を心得ておくこと、それが金なのだ、と。
誠実であることが、何よりも大事だ、とも読み取れる。これは、吉田松陰が教えてくれた、「至誠」だ。山口生まれの人間は、皆それを知っている。はずだ。
はずだよね!
「至誠」は、もともとは孟子の教えだ。離婁章句という弟子との対話を書いた書物にある「至誠而不動者、未之有也。不誠未有能動者也」の一部。「至誠にして動かざる者は、未だかつていない。また、誠の心持たずして、人を動かせた者もいない。」
これは、僕のビジネススタイルでもある。ミャンマー語では、Thitsar(ティッサー)という。Thitsarをもって人とぶつかり合うことで、長い付き合いができる。
サミュエルは、そのうちの1人だ。
リス族
さて、ミャンマーには少数民族が135種いるとされている。本当はもっと少ないかもしれないし、もういないかもしれない。いわゆるマイナーなコミュニティに属するものたちがいる。
そのうちの一つに、リス族といわれる人たちがいる。ついつい齧歯類を想像してしまいそうな名前だけど、特に歯に特徴があるわけではない。
リスは、ミャンマーの主にシャン州やカチン州に生息していて、使う言葉はリス語になる。リスには、他のミャンマー人と違って、氏族制度がある。魚くんや、蜂さん、山羊さんなど、他にもいくつかあるようだ。
サミュエルは、蜂という氏があるので、蜂サミュエルというのが本当の名前となる。魚ジョセフとか、山羊ナオミとかがいることになる。
「リスは、日本人とそのルーツが同じなんだ」
サミュエルは教えてくれる。袋から、クルミを取り出して、一つくれる。
牧師さんとして、教会で神に尽くしているサミュエルは、意外と気さくでユニークな男だ。一緒にワインを飲んだりウサギの肉を食べる仲だ。なんとかリスのコミュニティを盛り上げていきたい。田舎からの人材流出を止めたい。サミュエルは熱く語る。
「リス族も、山間地域に住む。だから、やっぱり農業で生きていくことが大事だ」
「そうだな。何か作っているものはあるの?」
「クルミとか、トウモロコシとか、イチゴとかだ」
まるでリスのエサのようなラインナップ。本当はリスなんじゃないのか。齧歯類なんじゃないのか。
「私たちリスと日本人は親戚だ。遠い、遠い親戚なんだ。だから、カズのことは歓迎する」
サミュエルは、器用にドアの蝶番を利用してクルミを割りながら言う。
「ありがとう」
「なので、来月、リス族のクリスマスセレモニーがあるから、カズもぜひ参加してくれ」
「え!?」
「クリスマスセレモニーには、たくさんのリスの仲間が集まるんだ。歓迎する」
サミュエルは、別の袋からクルミを取り出して言う。
お前いつまでクルミ食うてんねん。
セレモニー
ということで、なぜかリスのセレモニーに参加することになった。
リス族の使う言葉は、中国語に近い。リス族は、中国にも生息していることから、おそらくその系譜なんだと思う。
文字は、アルファベットを工夫して、こんな感じに表記する。
「こんにちは」は、「ホアホアー」というらしい。気が抜ける挨拶だ。
関係ないが、ホア、は、ニュージーランドの先住民の言葉で、友達、という意味があるらしい。関係ないが。
去年のクリスマスは、リスのホアたちと過ごした。ついでに、日本からもホアが来たい、と言っていたので、一緒に参加してもらって、お互いにホアホアーした。
「かず、せっかくだから、歌ってくれよ」
サミュエルがアホなことを言い出す。
「いや、ちょっと待ってよ。ミャンマー語の歌なんてロックしか歌えないよ」
「十分だわ」
「いやいや、歌詞とかちゃんと覚えてないし!」
「だったら日本語の歌でいいから。伴奏弾く人もいるからさ」
「いや、そいつ弾けないだろ。ヒューマンカラオケボックスかよ」
お酒に酔っ払ってか、サミュエルはぐいぐい強引に誘ってくる。お前牧師だろ、ワインそんなぐいぐい飲んじゃダメだろ。
しかし、男ズーズー、こんなに歓迎されて断らない訳にもいかない。いい感じに酔っ払っているのはサミュエルだけだが、素面でもアホなことはやれるほど、僕の心はすでに壊れている。
あと、日本から来てくれた女の子の前だし、こんなところでカッコ悪いところは見せられない。
「仕方ないな、歌ってやるか!」
ステージの裏側にゆっくり回って、次のスタンバイをする。伴奏のイケメンに、コード進行を教えるが、得意げに綺麗な首の縦振りが返ってきた。いいか、お前は何もするな。
いざ、僕の番になった。
「こんにちは、日本人のカズです。サミュエルの友達です」
「いぇーい!」
「ふぅー!!」
「いいぞー!!」
「アリガトー!!」
歓迎の声援のなかに、下手くそな日本語が聞こえてきた。サミュエルだな。
「え、では、アカペラで、歌わせていただきます」
「ふぅー!!」
「かっこええー!!」
ちょっと静かになるのを待って、僕は口を開いた。
「ぶぉーくらはー、ずっとぅおー、まってるぅうふぅー」
森山直太朗の「さくら」だ。松田聖子の「赤いスイートピー」と迷ったが、アカペラで歌い切る自信がなかった。
「いぇーい!!」
「いいぞー!!!」
歌ってる途中に騒音が聞こえる。声援が、だんだん騒音になってきた。ちょっと黙ってろよ、歌ってるだろ。
「さぁーくぅーら、さぁーくぅーら、いぃまぁ」
「サクラー!サクラー!!」
僕の真似をしながら、そこら辺をちょこちょこ走り回るリスたち。
「さぁらぁばー、とぉもよー、たびだぁーちのぉ」
「サクラー!サクラー!!」
これでもかとちょこちょこ走り回るリスたち。
「さくぅーら、まーいーちるぅーみぃーちのぉー……
うーえーーでぇーーー」
「サクラー!サクラー!」
「いぇーい、カズー!!」
「歌を聞けーー!!」
僕は、静かにマイクを置き、ステージの裏でクルミを叩き割った。