ずうっとずぶとくずうずうしく

いろいろあってミャンマー暮らし

詠み人知らず

日本人のあだ名の付け方は、本当に多種多様だな、と実感する。ぐっさんとか、やまさんとか、元の名前を想像するのも難しくない。ブタゴリラなんてあだ名を呼ばせていたカオルくんもいて、非常にキテレツだなぁと思う。ジャイアンなんて本当にすごい。

 

僕も、小学校の頃は、「カッシー」なんて言われていた。引っ越したばっかの頃に、仲良く登下校していた友達につけてもらったんだけど、マリオに出てくるヨッシーが好きだっただけで、「かず」と合わせてカッシーになって、それが当たり前になっていくの本当にすごいなと思った。同時に、樫本くんに申し訳ないと思った。

 

高校に上がってからは、「ちゅーや」に変わった。苗字から連想されてしまったそのあだ名は、僕は割と気に入っている。ちゅーやは、大学で「ちゅーやん」になってしまった。すごく間抜けな響きになってしまったけれども、呼んでくれる人がいるから、それはそれでいいことにしている。

 

ちゅーやの元になった、というかそのものだけど、中原中也から拝借している。イケメン俳人として割と人気なので、そんなに悪い気はしていない。中也は、山口県出身の俳人で、東京でフランス語を勉強していたこともある。僕自身も、出身地と苗字と出身高校と専門の学問が同じであることから、妙に親近感がある。友達の家の前にある中原中也の墓を見るたびに、旧友の前に立っているような錯覚に陥る。

 

 

ちゅーやん、と呼んでくれる友達、みったんの誕生日があったから、日本滞在中に祝いに行ってきた。多分1年と半年ぶりくらい。先週ぶりくらいに会ったような感じで迎えてくれる安心感が心地よい。

 

東京の三越前にあるカフェで、サニサニーピクニックという所がある。ここで知り合った友達を呼んで誕生日パーティをするということで、お店の閉店時間にやってきた。

 

アフロのが迎えてくれるそのカフェは、ちょっと普通とは違って、謎々がいろんなところに散りばめられていて、居心地のいいコミュニティスペースのようにもなっている。アフロ店長のふーちゃんが考えているようで、ここの紹介はまた今度したい。

 

時間になっていろんな友達がやってきた。僕は皆さま初めまして状態だったうえ、ミャンマーから来ました、みたいな奇抜な奴で、だいぶ浮いてた気がする。それでも、ふーちゃんやみったんの社交性のおかげで、なんとか馴染めた、気がする。

 

ボードゲームやお絵かきゲームで楽しませてもらった。中でも盛り上がったのが、「詠み人知らず」というゲームだ。

 

詠む、という書き方をすると想像しやすいけど、川柳とか俳句を作っていくゲームだ。詠み人知らず、つまり、誰が作ったのかわからない、という意味が込められている。

 

一人一人に白紙のカードが渡されて、そこに川柳の5・7・5を書いていくわけだ。詠み人知らずにおいては、「一人一字」ずつ書いてランダムに回していく。前の人の一字を受けて、それっぽいのを書くも良し、全く意味のわからない文字を書くも良し。協調性が高ければいい感じの川柳になるだろうし、いたずら心が過ぎれば、解読不能の川柳にもなる。ただ、川柳なので、解釈が必要になる。意味不明な十七文字でも、解釈次第では奥深い詠みものになることもある。もともと少ない言葉で、深く大きな印象を抱かせるという、川柳の性質を利用した、非常にいいゲームだ。

 

「え?え?何書いたらいいの?まる?」

よしおかは、イマイチまだルールを把握していないみたいだった。丸は書かなくていい。一文字目だけ書くんだ。

 

「なんでもいいから一文字目書いて。あ、でもいいし、え、でもいい。そのあと、続けて一文字ずつ書いていくから。ふ、とかね。そしたら、あ、ふ、ろ、みたいに繋がるし、そうしなくてもいい。とにかく、みんなで一文字ずつ書いて繋げていくの」

ふーちゃんが分かりやすく例を出してくれたけど、よしおかはまだ分かっていないようだ。

 

ちなみに、人数は、8人くらいいるといい感じになるし、その分だけ面白い句ができる。この日は、11人でやった。

 

まず最初に自分が一文字目を書く。一文字目は大事だ。「ぽ」とかから始めたりすると、続けにくい。「ポケモン」とか「ポリバケツ」とか「ポスター」とか、あれ、なんだ、意外となんでもあるな。それに、次の人がどういう方向性にするかでいくらでも化ける。

 

じゃあ、自分の名前の「な」から始めよう。カードの右上に、綺麗に「な」と書いた。みんなが同じように一文字目を書き終えたら、カードをシャッフルさせる。

 

次は何が来るかな。ランダムにカードを取り出すと、そこには「す」とあった。いいね。「すき」とか「すし」とか二文字で方向性を決めてもいいし、「すい」とか「すみ」とかで三文字目を泳がせたりできる。完成形が楽しみだ。僕は「き」と書いてカードを折りたたんだ。

 

よしおかが、ルールをまだ理解していないでワーワー騒いでいる。

「いいから一文字書けよ」みんなが一斉に突っ込む。今回はツッコミしなくても良さそうだ。

 

次のカードには、「お」「っ」と書かれていた。これはどう考えても「ぱ」でいくだろう。むしろ「ぱ」以外の選択はありえない。こんなにも「ぱ」を書きたくなる日はこれまでも、そしてこの先もないだろう。食い気味に「ぱ」を書いて、カードを折りたたんだ。

 

こうやってみんなで句を作っていくわけだ。めちゃくちゃ楽しみだ。みんな何を書くんだろう。「おっぱじめる」なんていうサブいことはしないでもらいたい。「おっぱ」と来たら、次はもうその白い歯を見せびらかせて欲しい。

 

 

しばらくしたら、一文字目と二文字目が離れているカードが当たった。

これ、よしおかだろ。なんで続けて書いてないんだ。理解力がなさ過ぎてさすがに笑えてくる。しかも、説明の例で使われた「あふろ」の「ろ」の字だ。アフロに引っ張られ過ぎてる。

 

そのせいで、意味の分からない文章になっている。これはダメだ。育たない。方向性を変えよう。最初の五文字は無視だ。残り十二文字で意味を作ろう。前の人が「は」と書いてくれている。「は」から始まる言葉か。「はっぴー」とかになればいいか。僕は小さく「っ」を並べた。

 

 

次に来たカードは、僕が最初に「な」と書いたカードで、ずいぶん育っていた。

 

「なまがいい」「まじ」

 

ど下ネタコースだろ。これは、育てたい。育てたいぞ。みんな、一致団結して欲しい。進むべき方向を、みんなで向いて欲しい。日本の政治のように、国家のあり方のように、進むべき方向を、みんなで向いて欲しい。過程や方法は様々あって然るべきだけど、方向性はこっちで行って欲しい。

 

僕は「で」と記してカードを折りたたんだ。

「そうか、そういうことか!」よしおかの理解を告げる声が聞こえたけど、無視をした。

 

 

いろいろとカードが回ってきて、それぞれに文字を連ねていった。意味のありそうな句や、訳のわからない句もあったけど、なんとか十七周して、完成した。

 

最後に、一枚ずつランダムに引いて、その句をみんなの前で声に出して読む。更に、解釈をそこに吹き込んでいく。ど下ネタだけは読みたくないと心で祈りながら、一枚引いた。こういうときの、神様の気まぐれは本当に腹が立つ。ど下ネタだった。

 

「なまがいい

   まじでほんとに

   きもちよし」

 

みんなが一致団結した瞬間だった。きもちいい、とかじゃなくて、きもちよし、という奥ゆかしさを含んだいい表現だ。「よ」を書いて「し」を重ねたファインプレーに拍手を送りたい!!

僕は何を言っているんでしょうか。

 

しかし、こんな、声に出して読みたくない日本語はない。みんなが一つ一つ完成した句を読んで行く中、震え上がっていた。

 

そういえば、途中で方向転換した句はどうなったのだろう。みったんの読む番が来た。

 

「◯◯◯◯◯ はっぴーばーすで いみきてぃ」

 

奇跡が起きた。最初の五文字は忘れたけど、その後のみんなの愛に、僕は感動した。そしてそれをみったんに読ませる神様のいたずら心に、僕はスタンディングオベーションを送りたい。一人で。

 

ちなみに、「おっぱ」で解き放ったカードは、ちゃんと「おっぱい」になっていた。