ここにはないものをさがして
しばらく更新が止まっていたけど、どうせ見ている人なんていないしダラダラやろうと思っていたら、案外昔の友達が読んでくれていたことと、興味持って会いにきてくれた人がブログ読んでみました、と言ってくれることから、もう少し真面目に更新してみようと思うようになった。
2018年になってから2ヶ月が経ってしまった。気づいたら3月。自分の誕生日イベントがあった2月もざっくり逃してしまっていた。何をしてきたんだっけ。
そうそう。会社を辞めることにしたんだ。NGOの仕事も5年間やってきて、ついにそこから独り立ちすることにした。いろいろと理由はあるが、自分の意思決定のもと、いろんなことを進めていきたい、というのが一つの大きな理由だ。自分の責任の中で、自分で決めて、自分で価値を生み出すこと。自分のやりたいことって、そういうことだったはずだ。
遡れば2011年の3月、普通とは違う選択をした。就職活動から逃げるように、いろんな場所に飛び込んだ。飛び込んで、飛び乗って、飛び立って、飛び回って。その先に見えたのは、どこの会社で働くか、ではなくて、何をして生きていくか、ということだった。

何か目的を持って生きている人なんてそんなに多くないと思う。ある時友達から言われた、「かずって、目的を持って突き進むんじゃなくて、意味を見つけながら生きていける人だよね」という言葉が印象に残っている。とりあえずやってみる、直感的な部分がほとんどで、その時一番「おもしろい」と思える方向に進んで、それから「何でそんなことやったのか」理屈を追っかけることが多い。だから一方で、案外一貫性を保てないことばかりで、いろんな人に迷惑をかけている。
卒業して北海道に行った。農業やりたい、なんて急なお願いを受け入れてくれた田中家族のところで、農産物の生産の勉強をさせてもらった。その後、物流や流通の勉強をするために千葉の直売所で働いた。日本の生産と流通の現場を学んだから、海外のそれらを見たいと思った。オーストラリアとミャンマーで悩んだけれど、なんとなくミャンマーの方が面白そうに映ったから、ミャンマーを選んだ。そうして、ミャンマーでのNGO活動が5年も続いた。
気づいたら、自分で何かをすることから、人の指示を受けるだけの毎日になっていた。
欲しいものは、いつの間にか未来にはなくて、現実と過去の間の妥協点にしか見出せなくなってしまっていた。ここにはない、今目の前にないものを探していた僕はここにはいない。
20歳の頃、5年後の君へ、という手紙を書いた。
25歳の時に、それを見た。
「今、何をしていますか。誰といますか。誰かのための自分でいますか。何をして幸せだと思いますか。どのように生きていますか。」
心に突き刺さる痛いくらいのメッセージがそこにはあった。ああ、そうか。
どうやって生きたかったのか、ようやく思い出した。
今年からは、自分の欲しいものを探しにいく時間をたくさん増やしたい。そこに一緒に目指してくれる仲間とともに、自分たちの社会を作っていきたい。その過程で、きっと楽しく笑いあえるはずだ。たぶん、その日々が、何よりも幸せな時間なんだと信じて。
