ここにはないものをさがして
しばらく更新が止まっていたけど、どうせ見ている人なんていないしダラダラやろうと思っていたら、案外昔の友達が読んでくれていたことと、興味持って会いにきてくれた人がブログ読んでみました、と言ってくれることから、もう少し真面目に更新してみようと思うようになった。
2018年になってから2ヶ月が経ってしまった。気づいたら3月。自分の誕生日イベントがあった2月もざっくり逃してしまっていた。何をしてきたんだっけ。
そうそう。会社を辞めることにしたんだ。NGOの仕事も5年間やってきて、ついにそこから独り立ちすることにした。いろいろと理由はあるが、自分の意思決定のもと、いろんなことを進めていきたい、というのが一つの大きな理由だ。自分の責任の中で、自分で決めて、自分で価値を生み出すこと。自分のやりたいことって、そういうことだったはずだ。
遡れば2011年の3月、普通とは違う選択をした。就職活動から逃げるように、いろんな場所に飛び込んだ。飛び込んで、飛び乗って、飛び立って、飛び回って。その先に見えたのは、どこの会社で働くか、ではなくて、何をして生きていくか、ということだった。
何か目的を持って生きている人なんてそんなに多くないと思う。ある時友達から言われた、「かずって、目的を持って突き進むんじゃなくて、意味を見つけながら生きていける人だよね」という言葉が印象に残っている。とりあえずやってみる、直感的な部分がほとんどで、その時一番「おもしろい」と思える方向に進んで、それから「何でそんなことやったのか」理屈を追っかけることが多い。だから一方で、案外一貫性を保てないことばかりで、いろんな人に迷惑をかけている。
卒業して北海道に行った。農業やりたい、なんて急なお願いを受け入れてくれた田中家族のところで、農産物の生産の勉強をさせてもらった。その後、物流や流通の勉強をするために千葉の直売所で働いた。日本の生産と流通の現場を学んだから、海外のそれらを見たいと思った。オーストラリアとミャンマーで悩んだけれど、なんとなくミャンマーの方が面白そうに映ったから、ミャンマーを選んだ。そうして、ミャンマーでのNGO活動が5年も続いた。
気づいたら、自分で何かをすることから、人の指示を受けるだけの毎日になっていた。
欲しいものは、いつの間にか未来にはなくて、現実と過去の間の妥協点にしか見出せなくなってしまっていた。ここにはない、今目の前にないものを探していた僕はここにはいない。
20歳の頃、5年後の君へ、という手紙を書いた。
25歳の時に、それを見た。
「今、何をしていますか。誰といますか。誰かのための自分でいますか。何をして幸せだと思いますか。どのように生きていますか。」
心に突き刺さる痛いくらいのメッセージがそこにはあった。ああ、そうか。
どうやって生きたかったのか、ようやく思い出した。
今年からは、自分の欲しいものを探しにいく時間をたくさん増やしたい。そこに一緒に目指してくれる仲間とともに、自分たちの社会を作っていきたい。その過程で、きっと楽しく笑いあえるはずだ。たぶん、その日々が、何よりも幸せな時間なんだと信じて。
マブヤーマブヤー
「ねぇねぇ、かずさん、かずさんってば」
「ん、なに?」
「もう、ぜんぜん話聞いてないじゃん」
「いやいや、聞いてるよ。もり蕎麦とかけ蕎麦がどちらが美味しいか、でしょ」
「いや、そんなことどうだっていいよ。もう、マブイが飛んでるじゃん」
「マブイ?」
「マブイだって。ほら、そんなんだと大変だよ、マブヤーマブヤーウーティクーヨ」
「??」
「はい、やって!」
「いや、意味がわからない。なに、呪いかけたの?」
「違う!逆!」
「ちょっと落ち着いてくれ。僕は成仏できていない霊じゃない」
「除霊でもない!」
「なんなんだよ、僕は今忙しいの。来週の出張予定作んなきゃいけないんだから」
「さっきまで空中見てボーッとしてただけじゃないですか」
「いいか、僕は、好きなときに仕事して、好きなときに休みたいの。今は、無性に仕事がしたくなっ」
「あーあー、もういい!」
「で、マブヤーってなに?」
「ホントに知らない?沖縄では、魂のことを、マブイっていうの。びっくりしたとき、心臓が止まるかと思った!って言うでしょ。沖縄では、魂がとんでっちゃった、っていうの」
「へぇ。別にびっくりはしてないけどね」
「うん、ただ、魂抜けたようにボーッとしてたから。マブイがどっかとんでっちゃってたんですよ。それを、戻ってこーいってやってたの」
「なるほどね」
「マブイがないと元気が出ないし、悪いこと起こるから、すぐに体に戻さなきゃなんですよ」
「それで、さっき呪文を唱えてくれたんだな」
「呪文じゃない!」
「それにしても、沖縄おもしれーな、そんなのあるんだな」
「うん、城間んとこも、車とぶつかりそうになって家に帰ったときに、お母さんがわざわざその現場まで連れて行ってくれてマブヤーグミやったもん」
「わざわざ戻ったんか」
「そう、だから、かずさんも、はい、やって」
「マブヤーマブヤー」
「へぃ、かず。なにやってんの?」
「おお、ザーニー。いや、これな、魂を取り戻してるんよ」
「どういうこと?」
「ぼくも知らんのよ。なんか、沖縄の文化の一環なんだけどな、びっくりしたりすると魂がどっか行っちゃうんだと」
「なににびっくりしたんだ」
「いや、何にもびっくりしてないんだけど、ぼーっとしてたからさ。みきが、魂どっか行ってたよ、って言うから、呼び戻してたんよ」
「へぇ、沖縄の文化ねぇ。ちなみに、ミャンマーの文化か、カレン族の文化か知らないけど、うちのばあちゃんもそういうことやってたよ」
「え?」
「ちょっと違うけど、こんな感じ。
プルルルル!!」
「!?」
「なにそれ、電話のモノマネ?」
「ホントなんだって、こうやってやんの、うちのおばあちゃん」
「いや、そんな甲高いでプルルルル、なんてやるやつヤバいだろ。通話でもしてんのかよ」
「そうかも」
「そうなのかよ」
「魂にダイヤルアップしてるのかも」
「いや、そんなプロバイダないだろ」
「えー、めっちゃ面白い!カレン族も魂呼び寄せるんだ!」
「いや、わかんない。カレン族だけじゃないかも。ミャンマーの文化かも。でも、もう若い人はやらないけどね」
「それは、沖縄も同じだなぁ。若い人はそういうのやらないけど、そういうの大事にしている人はまだいるよ」
「いいねぇ。ぼくも沖縄行きたいなぁ」
「えー!ザーニー、来てよ!城間が暇なうちに!」
「もちろん!」
「プルルルル!」
「!?」
「なに、かずさん、なに!?」
「いや、急にこんなんやられたらびっくりするよな」
「おう」
「うん、城間もびっくりした」
「その度に周りの人たちのマブイを落としていくスタイルなんだなぁと」
「確かに…」
「カレンのスタイルの方は、まさに呪いだったというわけだな」
「いや、かずさんのさじ加減じゃん」
「あはは」
「ところで、かず、さっきクライアントから連絡返ってきたよ」
「なんだって」
「やっぱ今回の話は、なしだって」
「……!」
「プルルルル!!!」
アマチュアディレクション
「うちのバレーボールチームのコーチを頼む」
「ガッテン承知」
勇気があるわけではない。無謀にいきたいわけじゃない。ただ、面白ければそれがすべてで、それが人生で一番必要な要素だと思うだけだ。
でもなければ、ミャンマーで仕事しようなんて思わないし、ましてやリス族のバレーボールチームのコーチなど引き受けたりしない。
提案
サミュエルから、提案があったのは突然ではなかった。今年の5月ごろ、年末にバレーボール大会があるから見にこないか、と言われていた。リス語文字制定100周年記念式典があるそうで、そのときに併催されるバレーボール大会があるのだという。
バレーボールは僕も経験がある。とは言っても、高校生の頃に週2で通っていたママさんバレーボール程度だが。母親が、妹や弟の子育てから離れられるようになって時間ができたころ、小学校の体育館を借りて、ママ友たちと卓球やバレーボールなどを始めたのがきっかけだった。
同級生とあんましウマの合わない僕は、ちっさい子供と遊ぶか、年上のおっさんおばさんと遊ぶかの日々だった。とりわけ、おばさんたちと遊ぶのは楽しかった。バレーボールは、ゆるいものだったが、チヤホヤされたい思春期の真っ只中、同級生にモテずにおばさんたちからモテてばかりだった。そしてそれが、なぜだか楽しかった。
今思えば、なんでそっちのイベントこなしたのかはわからない。他校の女子からの、一緒に帰りませんか?イベントに出くわすよう、もうちょっと努力すべきだったかもしれない。不良だが親友だった田中のように、週一でいろんな女の子を取っ替え引っ替えしてみたかった。いや、やっぱいいや。それはそれで顰蹙のバーゲンセールだ。
サミュエルからのバレーボールの話は、試合の応援に来てよ、程度で、あとはリス語文字のイベントに来なよ、ということで理解していた。僕も、少なからず、こういった属性のコミュニティには関心があったので、ぜひ来てみたいと思っていた。
「おっけー、12月な。絶対空けとく」
思いつき案
それから10月までは、なんとかしてミッチーナにこれるように調整をしていた。
ミッチーナは、カチン州の州都だ。ミャンマーを流れる大いなる河、エーヤワディー川の始まりの街だ。エーヤワディー川は、マリカ川とマイカ川が合流する、ミッソンというところから始まる。そこからミッチーナを経て、ミャンマー全域に恵みの水をもたらしている。豊かな国土とその豊穣を生んでいるのは、このエーヤワディー川のおかげであると言っても遜色ない。
中国の資本が、このミッソンにダムを建設しようとして、国民や住民の大反対を食らっているのはそれが1つの背景にある。また、36億米ドルの大投資、600万kWの発電+10%をミャンマーへ無償提供、BOT方式の事業、8%の投資回収率、にも関わらず、凍結してしまった背景には、もっともっと複雑なものがある。民族、政府、国外の意図、環境、あげればキリがない。こうした、ん?あれ、ちょっと真面目な話をしすぎたな。あとは自分で調べてくれ。
「かず、誰かいいバレーボールのコーチはいないか」
サミュエルの新しい提案があったのは、11月になってからだった。
「なに、コーチ?」
「そう、せっかくだから、わたしたちのチームを、日本の技術で勝たせてくれよ」
「日本の技術?」
「日本のバレーボールは強いだろ?みんな小さい頃、学校かどこかで習ってるんだろ、忍者みたいに」
「ステレオがすごいな、ステレオタイプが。サミュエル、日本に行ってたからそんなのないの知ってるだろ」
バレーボールはともかく忍者は教科の1つじゃない。国語算数理科忍者ってなんだ。池の上歩くんか、日本人はみんな。
凶器投げまくるんか、みんな。
「とにかく、いいコーチがいたら連絡してくれ」
そんなこと言われてもなぁ。さすがに3週間前で、そんなやつ見つかるだろうか。
とりあえず募集してみた。案の定、誰も来てくれなかった。
「かず、友達いないんじゃないの」
「いや、なんてこと言うんだ」
「んー、こうなったら仕方ない、かず、うちのバレーボールチームのコーチを頼む」
「ガッテン承知」
僕ができるアドバイスは、全部インターネットからの受け売りだった。これが日本の技術というかと言えば、違う。グーグルの検索能力のおかげなので、アメリカの技術である。アメリカの技術と、日本人によるバレーボール講座による、スーパーコーチだ。僕は、ただの翻訳マシンにすぎない。さらに言えば、僕の英語はリス語となってプレイヤーに伝わるので、なんだったらすごく代替可能な存在になっている。
「いいか。自分がされて嫌なことを、相手にやれ」
「顔じゃなくて首を狙え」
「足をくじけ」
「飲み物に下剤を」
後半のアドバイスは悪ふざけが過ぎたが、ネットに落ちているアドバイスはすべて伝えた。心なしか、選手たちの顔は笑顔だった。
そうだ。一番大事なことは、試合を楽しむことだ。プレイを楽しんでるやつが、一番勝ちに繋がるんだ。高校の頃に、そういうふうに先輩から教わった。その先輩も、なんらかの漫画からの受け売りだったが。
試合当日
「あたりまえだけど、こんなアドバイスなどで勝てるわけがない。小手先の技術は、蓄積されたものに劣る。蓄積されたものを、当日どれだけ発揮できるか、が、全てなのだ。でも、ちょっとくらい背伸びしたい。背伸びすれば届く景色はある。身体測定のときに一度だけ背伸びをしたことがあって、2cmだけ伸ばした。でも、翌年普通に測ってしまって、2cm縮んでしまっていた。でも、そのおかげで背の順で並んで好きな女の子の隣に座れたりしたこともあった。
さぁみんな、背伸びしよう!!」
なんという試合前のアドバイス。プレイになんの関係もない。ちなみに背伸びをする、というのは2つの意味がある。Overreach myself: 実際以上に見せようとする、と、Standing on tiptoe: 爪先立ちをする、だ。うまく使ってくれ。
一戦目は、見事勝利を収めた。まさか本当に勝つとは思わなかったので、生徒たちが無邪気に喜ぶなか、僕も子供みたいに喜んでしまった。なにを自分の手柄のようにしているのか。
勝因は、相手のミスだった。こういうのは、ミスが少ない方が勝つ。ミスをしない、ということがいかに大変で、大切なことかを教えてくれる。そこまで極めるのは大変だ。だから、ミスが出てしまうのは前提で、ミスをしてしまったらどうするか、を考えておくのも大事だ。
仕事のミスも同じだ。ミスがないに越したことはないが、ミスをしたらどうするか、が大切だ。ミスしたことばかりを責めて叱っていた知人の会社は、見事に従業員に逃げられて目も当てられなくなった。ミスを成長の機会と捉えて、考える機会を与えた知人の会社は、素敵な事業を打ち立て続けている。
「そういうわけだ、行こう!!」
心の言葉は声に出さず、二戦目が始まった。
二戦目
これは負けた。これはダメだ。みたいな感覚になることは少なくない。動物的な感覚が冴え渡るときがある。
二戦目の始まりはまさにそんな感じだった。
まず、相手のチームが筋肉ゴリゴリだってことで、うちの選手はみんな戦意喪失していた。せっかくキャベツいっぱい食べて繊維を取ってきたのに。
「楽しくいこう!!」
僕の指示も虚しく、1セット目はボッコボコにされた。ダブルスコアはさすがに凹む。
「みんな。僕からアドバイスだ。あの背番号3番は、今日はミスが多い。徹底的に狙ってボッコボコにしよう!」
「」
「冗談だ。みんな気持ちで負けてる。試合の勝ち負けはおいといて、まずは自分の得意技を一個ずつ決めていこうじゃないか」
「おお!」
なんかコーチらしいことを言えたんじゃないか。昔、部活の先輩に言われて感動したことを繰り返しただけだが、やっぱりこっちの人にも効くんだな。その先輩の言葉が、なにかの漫画のセリフだったことは言わずもがなだが。
次のセットは、奇跡的に勝ち取った。足がぬかるんで、スパイカーが皆転倒してくれたおかげだ。外の芝でやるからそうなるんだ。せめて次からは手入れをしておくように。マリオバレーボールのコート設定じゃないんだから。
「ラッキーだったな。みんな、次のコートは気をつけろ。滑るからな。ちょっと後方から攻撃しよう」
最終セットは、またもやダブルスコアで負けてしまった。敗因は、滑りやすいコートだった。何度もスパイクの瞬間に滑って転倒して、点をやってしまう。それ、欠陥なんじゃないの。コート選びが勝負決めてどうするんだ。
おわり
僕たちの冬の戦いは終わった。敗者復活戦で勝ったから3位ということになるが、まぁまぁ健闘したんじゃないだろうか。僕の指示が生んだ結果ではないにしろ、なんとなく貢献できていれば、それで良かったと思える。
というか、全試合つっこまなかったけど、
観客近すぎだろ。
面白い話
「ねぇねぇ、面白い話があるんだけど」
だいたいこういう話し方をするやつに面白い話はできない。面白い話をする、っていうハードルの高さは、思っている以上に高い。そんな瞬発力もジャンプ力もないのに、なぜ「面白い」バーを高いとこに設置するのか。
ただ、ひたすら事務所で会計まとめの仕事をさせられていて若干うんざりしていたところだったから、気分転換に聞いてみたい気持ちもあった。そうだ。自分から面白い、というくらいだから、相当面白いのだろう。いきなり斜に構えてしまうのはよくない。スティーブは、僕が何かを答える前に話し続けた。
「昔お父さんが死んだ時にさ」
もうすでに面白くない。というかやっちゃいけない走り出し方じゃないか。一度大阪で磨かれてこい。走り出し方を磨かれてこい。
「お葬式に来てくれたお父さんの友達がいたんだけど、その人から久々に昨日連絡があってさ、ミャンマーの金鉱脈があるんだけどどう、って言われたんだけど、面白くない?」
え?そういうこと?面白いってそういうこと?FunnyじゃなくてInteresting的な?いや、さすがにそれはどうなんだ。というかお父さんが死んだってくだり、いらなくない?父親の友人から久々に連絡があって、ミャンマーの金鉱山の話があるらしいんだけど、かず、興味ある?とかでよくない?
「金?」
一応聞き返しておいた。作業中のBGMに対してなにか話しかけたり答えたりするのは奇妙に思えたけれど、投げられたボールをそのまま見逃し三振にしたりはしない。スポ少で野球やっていたころ、コーチをやっていた父親に、せめてバットくらいは振れとよく言われたものだった。
「そう!金!もし興味あるなら紹介してあげるけど」
なんで上からなんだ。別に興味ないことないけど、なんかそれに答えるのって負けた気がする。そんなことより、今は会計の支出データと領収書が一致していなくてイライラしている。会計は、プロジェクト別にまとめておくのが一番いい。出口と入口を一つにして、使った分の領収書をまとめておくだけだ。これをするだけで、あとが数段やりやすくなる。
「別にいいや。前のでもう懲りたし」
以前、スティーブに紹介してもらった金鉱脈の所有者たちにいざなわれて、外国人が入っちゃいけないようなところに連れていかれたことがあった。結局、その金鉱脈のものはあんまり質が良くなかったみたいで話がおじゃんになった。そのことが、金鉱脈の所有者を怒らせてしまって、関係が悪くなってしまった。今では連絡は取っていないが、ちょっと身にあまるようなことはしないようにする、という教訓を得た。
「そっか。他にも面白い話あるよ」
「いいよ、今は目の前の仕事しっかりやるだけだよ。そんな暇があったら手伝ってくれよ、この会計作業が終わらないの、お前が領収書はやく出さないからだぞ」
「ねぇ見てこれ、かわいい子だ」
「ふざけんな」
スティーブは、通信費を無駄にしてかわいい女の写真だったり、車の写真だったりを漁ることしかしない。電話代、そういうことのために支給してるんじゃないからな。
会計の単純な仕事と、なぜか問題が発生してしまう作業構造にイライラすることはさもありながら、それを上回る形でイライラさせてくれる。仕方ない。こうなったら、面白い話を引き出して、明るい職場にしよう。
「ねぇスティーブ、面白い、笑える話をしてよ」
「いいよ」
なんなん。なんなんその二つ返事。間髪入れずとはこのことだわ。
「昨日、部屋の掃除してたら、先月分の領収書がもっと出てきた。はい、かず。これ。清算してよ」
「あははは!!!笑えるわ!!!」
ワクワク地方冒険記 後編
前回のあらすじ
その前
学校を建て替えるものとしてもらっていた寄付金の行方が、不明になっていた。村長によると、そんなものはここに届いていないということだった。あれから1年、ずっと待っていたんだろうか。健気な。
村長の眼差しが、僕をとらえて離さない。てっきり僕がお金を持ってきている人だったものだと思い込んでいたらしい。説得というか説明に時間がかかったが、なんとか理解してもらえた。僕らは外部の人間だってことを。
*美化されています。
あやうく村の生贄にされるところだった。たぶん、説明がうまくいかなかったら、村の中心に置かれている謎の石の上に磔にされていたことだろう。そんな人たちじゃないことは知っているが、そんなことになったって不思議ではない。
とにかく、寄付金の行方を追わなければいけないことがわかった。これ以上はこの村にいても仕方ない。収穫間際の稲穂のように、一心にこうべを垂れ、僕らは次の村に移動した。最後までじっと見つめてくる村人が、妙に心に残った。
次の村は、Tu Myaung(トゥーミャウン)という場所だ。
レイッアイッよりも小さな村で、川辺から上陸すると、広い農地に、ポツンポツンと茅葺き屋根の家が並んでいるだけだった。
ここは、村人470人。最寄りのレイッアイッから1時間ほどかかってしまうことから、相当孤立している場所であることがわかる。
「やぁ」
「へぇ、暑いですね」
日の光が強すぎて、さすがに皆、日向にはいられない。
「日本からの寄付金で、学校を建て替えるって話があったと思うんだけど」
「あー、うんうん、待ってたよ!」
「待ってた?」
「え、うん。お金持ってきてくれたんでしょ?」
出た。
一体どうなっているんだ。彼らが嘘をついているとは思えない。こんなことで嘘をついたってしょうがない、ことはないかもしれないけど、そんな感じには思えない。目をキラキラさせて、学校が綺麗に変わるのを楽しみにしている顔だ。これで嘘をついているんだったら、僕はむしろだまされたって構わない。
「え、ずーずー、お金持ってきたの?」
「そんなわけないでしょ、ザーニー。なんでボケたの今」
事情を聞いてみると、やっぱりお金が届いた形跡もなく、音沙汰も一切なかったようだ。村人たちのがっくりと肩を落とすさまを見て、いたたまれなくなった。
すまぬ。
帰りの船の中は、わりと静かだった。
ただの依頼で来たので、特に責任を負う必要もないのだが、このような現状になってしまって、複雑な気持ちだった。結局、彼らは行方不明のお金を使って、学校を建て替えることはできないだろう。どうせ、寄付を受けた団体が、別途使ってしまったのだろうから。
そうすると、彼らが苦しんでいる現状は何も変わらない。明日も、来月も、来年も、オオカミさんに吹き飛ばされそうな建物の中で、降り注ぐ暑い光に苦しむ毎日を送るんだろう。僕らには、そんなまとまったお金はない。あったとしても、こうやって苦しんでいる場所はここだけではない。きっと、他の場所にも似たような環境があって、支援を待っているにちがいない。ここだけを優先していいんだろうか。
でも、僕は知ってしまった。
こういう場所で、生きている人がいることを知ってしまった。
もう少しいい生活がしたい、と思っている人がいることを想像してしまった。
だったら、僕ができる方法で、なにかしらのアクションはできるんじゃないか。
寄付や助成金じゃなくて、ビジネスという形で、なるべく続けていける体制を作っていくやり方ができるんじゃないか。
こうした人たちを繋いでいく、そんな仕事を。
というわけで、新しい会社できました。
今後とも、どうぞよろしくお願いします。
ワクワク地方冒険記 中編
前回のあらすじ。
オレは一般成人男性、ずーずー。幼なじみで同級生の女なんていないけれど、学校調査の依頼を受けて、黒ずくめの男と一緒に、早朝のボートに乗り込んだ。ゆったりしたクルーズに夢中になっていたオレは、背後に過ぎ去っていく正しい道に気付かなかった。オレはなんとか男に正しい道を聞き出し、気がついたら体が縮んでしまっていた。
違った。もともと小さかった。
こっちが本当の前回
長時間船に乗っているので、尿意がすごかった。船の上から放尿するわけにもいかないし、クネクネとしながら近くの港を探した。こういう状況だと本当ににょうすることもできない。
しばらくして、なんとか港に到着した。時間は9時半。
ここは、港町Kan Bak(カンバック)。
蛇行中にガソリンがなくなったり、エンジントラブルを起こしたり、お腹がすいたり、お腹が壊れたり、物を売ったり買ったり、ラジバンダリするために皆が訪れる、小さな商業港だ。
こうやって色々なところから船で物が運ばれ、人が運ばれ、交流する。仕事の関係上、こういう部分にはかなり敏感になる。
「ザーニー、ちょっとトイレ行ってくるわ」
「俺も俺も」
そそくさと船から飛び降り、トイレに駆け込んだ。
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船から放尿した方がよかった。
すっきりしないがすっきりしたので、改めて出発だ。
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時は12時を回った。午後になってようやく目的地のレイッアイッに到着した。出発からちょうど8時間経っていた。
見積もり通りにいかない。予定通りにいかない。そんなことはよくあることだ。よくあっては困るんだけど、だからと言ってイライラしてはいけない。じゃあどうするか、生産的に考えていきたい。
「あ、ここじゃなかった」
「ふざけるんじゃない!!!」
さらに30分後にくだって、ようやくレイッアイッに到着した。
竹でできた桟橋を渡り、村の中へ入っていく。地方に行くとよくあることだけど、いつも違う時代に来たようなギャップを受ける。
村の中は茅葺きの家ばかり。三匹の子豚のお話が教えてくれたのは、台風や災害から家族を守る為、しっかりした建物を建てなさい、ということだ。後で読み聞かせをしておこう。
外国人が来る、というのは事前に伝えていた。だからなのか、たくさんの人たちが桟橋に迎えに来てくれていた。
「こんなところまで外国人は来ねぇかんな。珍しいんじゃ」
「やっぱりそうだよな」
僕は村人の間を通り抜けた。しかし、村人たちはいつまでも船の方を見つめたままだった。
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レイッアイッは、村人は820人と、この辺りでは大きな村のようだ。村長といろいろと話をしたが、健康、教育、生活において、たくさんの問題を抱えているようだった。
小学校も、藁と竹とトタンの建物。小学1年生から5年生までの子供たちが、ここで勉強をしているようだ。雨季には雨漏り、乾季には日照りが、一年を通してシビアな環境を作り上げる。
生徒100人に対して、先生1人という環境は、別にミャンマーの田舎では珍しくない。しかも、この先生は、この村の先生ではなく、村民がお金を集めて外の村から先生を雇っているという状況だ。自分たちの生活費の中から、先生への費用をなんとか捻出できて、1人分。
かと言って、単に「先生に対する雇用費、生活費」を外部から支給してもらうだけでは解決しない。他にも、医者の定期検診や、農地の整備など、他にもお金は必要なんだ。
会社に就職して安定的に給料をもらうのとは違って、自分たちで生産をして、それを売ってお金を生み出さないと、この環境を維持していくどころか、もっと苦しくなっていくだけだ。
「こんな状況をなんとか打破していきたい」
村長は熱く語る。その強く握られた拳には、包帯が巻かれていた。昨日ぶつけて腫れてしまったらしい。痛そうだった。
表面に見える問題は、誰にでもわかりやすい。先生が足りない。学校の状態が悪い。こうした問題には、先生を増やせばいい。先生を雇用するお金を用意すればいい。学校を建て替えればいい。
でも、それで本当に良いのだろうか。その表面に見える問題の、もっと見えない部分に注目すると、公立学校に国や地方自治体から補助がなされていない。地方自治体が機能していない。村内の生産が、村で必要な支出を補えていない。などの問題もある。
さらに、調査をしていくに連れてわかっていくが、十分な生産性と流通の確保ができていない。村のコミュニティ内部で情報が十分に共有されていない。村民の課題をもっと具体的にできていない。なども問題だ。
こういった、簡単には解決できない、社会や皆で考えていかなくてはいけない問題のことを、社会課題と呼んでいる。
この社会課題をもっとわかりやすく示すために、僕はここにいる。皆でその問題を共有して、どうやって解決していくべきかを相談していく。方法がわからなければ、皆で考えればいい。どうしてもわからなければ、外からアイデアを持ち込めばいい。いろんな人たちが交流して、知り合って、考えていけば、現状は良くも悪くも変わっていく。悪く変わらないようにブレーキも必要だけど、こうした方向修正は、皆で立ち向かって考えていかなければいけない。
そのための仕事を、
「そうだ、学校の建て替えのお金はどうなったんじゃ」
「ちょっと、今いいところだったのに邪魔しないでよ」
「なんのことじゃ」
「いや、こっちの話。え、学校のお金、来てないの?」
「来てないの?意味がわからない。今回連絡くれたから、やっと持ってきたか、と思ってたんだ。待たされてイライラしていたが、今も持っていない、というのは、どういうことじゃ」
すごむ村長。こんなに凄まれたのは、中学校の頃に不良のたまり場にサッカーボールを蹴り込んだとき以来だった。あの時は、持ち前のコミュニケーション能力で、なんとか右ほほを腫らしただけで済んだ。
「詳しく、話してくれないか」
次回、「かず漏らす」
ワクワク地方冒険記 前編
それは、ある一通のメールだった。
「とある団体に寄付したんだが、その後、その報告がないんだ。実際になにが行われたのか、見てきてくれないか」
ミャンマーの田舎を訪れたことがある人なら誰でも知っていることだが、地方の学校は、なかなかにボロい。
こんな感じだ。三匹の子豚の長男が作って回ったんじゃないかってくらい、ワラだ。そんなところに、狼という名の台風が頻繁にやってくる。大変だと思う。
よっしゃ、そしたら寄付したるか!ということで寄付が行われたらしい。もうちょっといい環境で勉強できればいいね!プロジェクトということで始まった。
しかし、実態はどうなったのか。1年経った今でも音沙汰がない。便りがないのは元気な証拠、しかし実際に見てみたいものだ。というわけで、諸君、行ってきてくれ。
ということで行った村がここ。
地図の東側にYangonとあるのが、大都市ヤンゴンだ。そこから、西側に広がるこのエリアが、エーヤワディ管区といわれている。デルタ地帯で、穀倉地帯の代名詞だ。
西側に見える、Laputta(ラプッタ)というのが、今回の目的地。そこからLeikAik(レイッアイッ)という村とTuMyaung(トゥーミャウン)という村に行く。おっしゃ、高速道路使ってぶわーっと行ってガーッと下ってサーっと調査して、というわけにはいかないのはわかるだろう。ここは日本じゃないんだ。
というわけで、こいつが必要になる。
地図上のMyaungMya(ミャウンミャ)という村までは、車を4時間走らせればすむんだけど、そこからはこのボートで村まで下っていく。なるほど、なかなかぶっ飛んだ調査の始まりだ。
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昼前にヤンゴンを出て、夕方にはMyaungMyaに到着した。さて、明日はいよいよ調査だ。しっかり準備をしよう。
「ザーニー、ボートを借りられるだろうか」
「ガッテン承知」
*ザーニーはこちらから
相棒のザーニーが、道順を尋ねる。
「この村まで、何時間かかるんだ」
「あー、ここじゃったら、5時間でいけるんよ、大丈夫。ほら、川下に下っていくわけじゃけぇ。水の流れであーっちゅう間なんよ」
「それでも遠いな、明日の朝早めに出発しないとな」
ということで、なまったミャンマー船乗りに明朝4時の約束をして、その場を後にした。
この日は、ザーニーのおばあちゃんの家で泊まった。おばあちゃんと話が弾むわけもなく、明日も早いため、ソソクサと床に就いた。川の字で6人が並んで寝た。
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翌朝4時
調査チームの朝は早い。誰よりも早く起きて、寝静まった街に背をむける。MyaungMyaの船乗りたちは、既に準備を始めていた。
「おぉ、お前ら来たか、ワシの船にのれぃ」
ボートの中は水漏れがすごくてビショビショだった。こんなところに座れというのか。シベリアの足湯か。さすがにそれじゃ嫌だな、ということで水をかき出し、板を敷き、念のためビニルシートを広げることによって、快適な環境を作り出した。船乗りが感動していた。
さすがに朝が早すぎて、ザーニーは再び眠りについた。あたりは霧が立ち込めていて、沈没船や幽霊船でも出てきそうな雰囲気だ。
本当に出てきた。沈没船だった。
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7時になると、ようやく辺りが明るくなってくる。他の船が行き交う様子も見え始めた。この辺りの移動は、ほぼみんなボート。人も、物資も、米も、水も。村同士の交流のためには、ボートがないと成り立たない。
2008年5月に、ミャンマーを襲ったサイクロン「ナルギス」が直撃したのもちょうどこの地域だ。あの時はたくさんの命が失われた。天災というのは、いつ、どこで起きるかわからない。備えをする、ということを、僕らは先祖から学んできた。それでも、できることはやはり少ないのだ。
行き交う人たちに挨拶を重ねながら、大きな川を下っていく。ただ、まだ立ち寄る予定の港町に着かないことが、だんだんと僕の不安を膨らませていく。天気はいいのに雲行きが怪しくなっていく。果たして今、自分たちがどこにいるのかさえも、わからない。
ちなみに携帯電話の電波はここで途絶えてしまった。
8時半頃、ザーニーが目を覚まし、クマが巣から出てくるように、船から顔を出してきた。出発して、もうすぐ4時間半が経とうとしている頃。船乗りの言う「5時間くらい」がそろそろ見えてきてもいいんじゃないかとソワソワしている。だけど、一向に着く気配がない。
「そういやぁ、この辺りはワニが出るんじゃぁ」
もう気が気じゃない。
「あとどれくらいなんだ、ちょっとそこらへんの奴に聞いてみてくれよ」
「わかっとるわぃ、ちょっと待たんか」
「おーい、レイッアイッてこっちじゃーのぅ」
「あー、レイッアイッっちゅーたら、こっちじゃねーけぇ。1時間くれぇ戻って、その先を左じゃ。大きな川に出るけぇ、それを下っていきゃー着くよ。あと2時間くれぇだぁ」
「1時間ほど戻って、あと2時間くらいで」
「なるほど」
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「進もう!」
僕らの旅は始まったばかりだ。
というか日帰り、ちゃんとできるのか。
次回予告「かず「野宿?」」
お楽しみに!